1993年に埼玉県で愛犬家など4人が行方不明になった「埼玉愛犬家連続殺人事件」。
ペットショップ経営者の夫婦と、部下の男が逮捕されました。
逮捕されたのは関根元(せきねげん・当時53歳)死刑囚。
その妻・風間博子(かざまひろこ・当時38歳)死刑囚。
ペットショップの部下である志麻永幸(当時38歳)。
主犯格である関根元と風間博子の現在の状況や生い立ち、
そして、息子が当時の心境を語っているので、その内容をまとめました。
- 埼玉愛犬家連続殺人事件の概要
- 関根元と風間博子の現在
- 関根元と風間博子の生い立ち
- 息子が心境を告白
<埼玉愛犬家連続殺人事件の概要>
関根(主犯)は犬の繁殖場の建設し、ペットショップを開業。
その建設費用として1億4000万円の借金を抱えていた。
そこで、繁殖した犬を、本来の値段よりも不当に高い値段で客に売りつけた。
これをきっかけとした金銭トラブルなどにより4人を殺害。
4人の遺体をバラバラに解体して捨てた。
1人目の被害者
関根(主犯)は、産廃処理会社経営・川崎昭男(当時39歳)に対し、数十万円のアフリカ産の犬を1000万円で売りつけた。
後日、ダマされたと知った川崎は関根(主犯)に代金の返済を求めた。
そこで、関根(主犯)は川崎を呼び出して栄養剤だと偽って犬薬殺用の「硝酸ストリキニーネ」入りのカプセルを飲ませて殺害した。
硝酸ストリキニーネは、知人の獣医に「犬を安楽死させるため」と偽り50人を殺害できる量の5グラムを譲り受けていた。
2人目と3人目の被害者
暴力団幹部・遠藤安亘(当時51歳)とその運転手・和久井奨(21歳)が、
関根(主犯)が川崎を殺害したことを知り、関根(主犯)を脅そうとする。
しかし逆に関根(主犯)は、口封じのため、暴力団の遠藤と和久井を殺害。
4人目の被害者
その後、関根(主犯)は、主婦である関口光江(当時54歳)も犬の販売トラブルで殺害。
この件も「硝酸ストリキニーネ」を飲ませて殺害し、群馬県片品村にある犬飼育場に遺体を運び、
妻の風間博子と2人で、遺体を包丁でバラバラにした。
逮捕の経緯
関根(主犯)は、自分が経営するペットショップで働いていた志麻永幸(当時38歳)に指示し、
4人の遺体を細切れにして肉片を川に棄て、骨はドラム缶で焼き、残った骨灰は近くの山林に捨てた。
関根(主犯)は、「ボディー(死体)を透明にする」という発言をして、遺体を完全に消そうとした。
しかし最終的には部下である志麻永幸(当時38歳)の供述により、遺留品や骨片が見つかり、3人は逮捕される。
志麻永幸(当時38歳)は遺体遺棄容疑で逮捕・収監されるが、3年の刑期を終え、出所した。
<関根元と風間博子の現在>
関根元と風間博子は、2009年(平成21年)6月に最高裁で死刑判決が確定。
裁判では、関根元と風間博子は、互いに相手が主犯だと主張したが、
判決は元夫婦が対等の立場で共謀し、犯行に及んだと認定され、2人とも死刑判決となった。
しかし、関根元は2017年(平成29年)に東京拘置所で病死した。
風間博子は死刑囚として東京拘置所に収監されているが、殺人への関与を否定し、再審請求を続けている。
<関根元と風間博子の生い立ち>
関根元の生い立ち
- 1942年1月2日 埼玉県秩父市生まれ
- 両親は秩父市内の商店街で下駄屋を経営
- 本人は子供の頃から嘘つきで有名で「ホラ元」と呼ばれていた
- 中学卒業後は高校へは進学せず、ラーメン屋でアルバイト
- その頃から実家の下駄屋の土間で犬の繁殖を始めた
- 犬などの繁殖業の才能があり、シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役と言われた
- 口がうまく、マスコミから動物関連の特集番組で取材されたこともある
- 関根が41歳の時、共犯者の風間博子(当時26歳)と結婚(この時、関根は7度目の結婚)
風間博子の生い立ち
- 1957年2月19日 埼玉県熊谷市生まれ
- 実家が資産家のお嬢様育ちで大の犬好き
- 若い頃は実家の土地家屋調査士の手伝いや保育士をしていた
- 関根と出会う前に離婚歴があり2人の子供がいる
- 金銭管理能力に優れており関根のペットショップで資金を管理
<息子が心境を告白>
風間博子の実の息子(Aさん)が、2020年にフジテレビのインタビューに応じていました。
初めてテレビの取材に答えた息子(Aさん)は何を語っていたのでしょうか。
インタビューに応じる風間博子の息子(フジテレビ取材時)
Aさんは、風間博子と前夫との間の子どもで、関根元の実の子供ではないとのことです。
Aさんは以下のように語っています。
【Aさん証言】
5歳の時に、母親である風間博子から関根元を紹介され、関根元と出会った。
関根元から「親父が欲しいか?」と声をかけられ、母親・風間博子は隣でニコニコしていた。
その後、関根元と風間博子が結婚。
それから10年ほどが経った1995年1月。
Aさんは当時15歳だった時にアメリカへ留学。
アメリカに無事に着いて、母親(風間博子)に連絡しようとしたら誰も(電話に)出なかった。
仲の良かった友達に連絡したら“お前の母親が逮捕されてニュースすごいよ”と教えらた。
アメリカに着いたばかりなのにこれからどうなるのか?お金はどうするのか?
頭が真っ白になり途方に暮れた。
しばらくしてようやく祖母と連絡がつき、祖母は
『お前は3カ月そっちにいろ。生活費は何とかするから。忙しいからまた連絡する』と言われ、
何が何だかわからなかった。
それからまた少し経って祖母から連絡があり、事件について聞いた。
関根なら事件を起こすことはありうる、でも母親が一緒と聞いて愕然とした。
関根に脅されてやったのだろう、何かの間違いだろうと思った。
思い起こせば、最後に会った母親は飛行機に乗り遅れないよう、送り出すのに焦っている感じだった。
今から思えば、迫っている逮捕を予感していたのかもしれない。
そのままアメリカの高校に入るつもりだったAさんの人生は暗転する。
1995年3月、密かに帰国して自宅に戻るが、周囲の目もあり自宅にはいられなくなる。
多感な時期の少年にとってはあまりに過酷な環境だった。
その後、祖母のきょうだいの家など親戚の家を転々としながら高校には行かず、
知り合いの飲食店などで働きながら生計を立てていく。
しかし、それも長くは続かず社員寮がある会社を渡り歩く。
「“親は親、子は子”と言ってくれる友達も多くて、これまでと変わらず接してくれましたが、
仕事先などでは母親のことや自分の素性については隠して生きてきました」(Aさん)
周りの同世代の友人たちが青春を謳歌する一方で、高校にも、大学にも行けず、母のことは隠して生きてきたAさん。
その後、20歳で知り合った女性と結婚。相手の家族にはありのままを話し受け入れてもらったという。
妻の親の家に住む形で、ようやくAさんの流転の日々に終止符が打たれる。
やがて裁判が始まる。
Aさんは「自分にとってたった1人の母親だから裁判に行かせてくれ」と、妻の親に頼み法廷へ向かう。
【Aさん証言】
そこで久しぶりに見た母親は小さくなっていました。明るさがなくなっていました。自分の親が腰縄をつけられ、捕まっているという光景はショックでした。すると関根も法廷に入ってきました。私を見ると『おう、元気か』と明るく声をかけてきたんです。ふざけるな、と思いました。腹が立ちました。
母と再婚した当初、関根は優しかったんです。しかし小学生の頃になると虐待が始まりました。裸で家の外に放り出され、正座をさせられて足の上にブロックを置かれ、ボールペンで腹も刺されました。理由は掃除をしていなかったから、とかそんな理由です。
包丁で手を切られそうになったこともありました。遊ぶお金が欲しくて親の財布からお金をとってしまったことがあったんです。それがバレると『盗むような手ならいらないだろう』と包丁で手を切られそうになりました。
今思うと、自分もいつ殺されてもおかしくなかったんだと思います。それを母親は守ってくれました。
Aさんは複雑な心境を語っています。
【Aさん証言】
被害者の方たちには申し訳ないと思う。
謝って許されることではないけれど、申し訳ないです。
しかし子どもとしては、刑が執行されて、もう母親に会えないかと思うと怖いし悲しい。
母親が殺人をしていないと言い切りたいけれど、自分はその場にいたわけではないからわからないです。
でも信じています。やったのかやっていないのか……捜査を尽くしてほしいという思いはあります。